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嵐を呼ぶ:『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』について

 2020年以降、ここではない別の世界線を考えることが増えた。「新型コロナウイルス感染症がない世界はどんな風になっていたのか?」と。そんなこと考えたって仕方がないのだが、考えたくもなる。

 

 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はマルチバース(多元宇宙)を題材とした映画だ。コインランドリーを経営する、中国系アメリカ人のエブリン(ミシェル・ヨー)。確定申告のために国税局に向かうと、突然、夫のウェイモンド(キー・ホイ・クァン)が豹変し、「世界崩壊の危機が迫っていて、解決できるのは君しかいない」と告げられる

 

 上記の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のあらすじ自体、何のこっちゃということなのだが、この導入からは思いもしない展開が次々と起こる。マルチバースとは、(ざっくり言うと)自分たちの世界とは別に他の世界が並行して無数に存在するという考えであり、劇中では複数の世界が怒涛のように登場する。

 

 複数のユニバースが登場することは予告編や事前に見聞きしていたレビューから察していたが、いざ本編を見てみると、予想以上にかなり映像の情報量が多く、作品の骨格を理解するのに時間がかかった。バースから別のバースにカチカチ切り替わるたびに、脳が疲労して少し気分が悪くなるほどで、かなりストレスを感じた。目まぐるしく映像が転換するため、「自分はどのバースにいるんだっけ?」と主人公エブリンの気持ちにシンクロしていた。ある意味没入できていたのかもしれないが。

 

 「ストレスを感じた」とは書いたものの、この映画で描かれているテーマ自体には大いに賛同する。無限の可能性=マルチバースがあるとしたら、じゃあ現在のこのユニバースを生きる意味って何なのよ?という話になってくる。人生は選択の連続だし、選択しなおしたい選択は山ほどある。いや、だからこそ!というメッセージには共感した。

 

 本作でたびたび描かれる「突拍子もないバカなことをすると、それがパワーになり危機を打破する」場面はシュールだが、ピンチの時ほどバカバカしいユーモアやありえないことを実践するのは確かに大事だ。劇中の下品なギャグ以上に、こういった精神性こそ、エブエブと劇場版クレヨンしんちゃんは似ていると思うゾ。