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この宇宙の片隅で:『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』について

 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目のパンフレットを読み返した。製作のケヴィン・ファイギが「『アイアンマン』の第1作以来、最もリスキーな作品だと個人的に思います」と語っていた。もう今となっては思い出しにくいが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の存在は2014年の映画公開前は無名に近かった。作り手側は無名に近いキャラクターらを映画化するリスクを背負い、映画制作に挑戦していた。

 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目はMCUの中でも屈指の名作だ。宇宙規模の冒険活劇やスケール感を提示できたこと、マイナーで珍妙なキャラクター達が主役であっても大作として成立できたことが、その後のマーベル・スタジオの自信に繋がっていったのではないか、とさえ思っている。そんな『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ3部作が今回、完結した。

<以下、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』のネタバレを含んでいます>

 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの本部に、金色の超人アダム・ウォーロック(ウィル・ポールター)が奇襲し、ロケット(ブラッドリー・クーパー)が瀕死の重傷を負う。ロケット治療の手掛かりは、ロケット誕生に関係している企業オルゴスコープ社の中にあることが判明。それを知ったスターロード(クリス・プラット)らはオルゴスコープ社に潜入するが…。

 自分はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの一員であるロケットが、キャラクターとして好きだ。そのアライグマの見た目とは裏腹に毒舌家で、知能が高くメカに強い。ただ、強いだけではなく、どこか悲壮感や寂しさが漂っており、そのギャップに親近感を感じていた。

 今回の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』では、ガーディアンズの行動の目的が「死の淵にいる仲間(ロケット)を救うため」というストレートなものであり、ロケットが本作の中心に位置づけられている。ロケットは遺伝子改造によって生み出された…という設定だが、実際にはどのような経緯だったのか、壮絶な過去のエピソードが容赦なく描かれる。個人的にロケットに思い入れが強いこともあり、見るのもなかなかつらかった。

 そして、ロケットを生み出した張本人のハイ・エボリューショナリー(チュクーディ・イウジ)が、まあ憎たらしい。「完璧」を目指すあまり、むごい生物実験や改造を繰り返すヴィランで、「コ、コイツは絶対止めないと…」と決意させるほど、ムカつく言動の数々を繰り返す。演じるチュクーディ・イウジは、ジェームズ・ガンが出がけるDCのドラマシリーズ『ピースメイカー』でも不穏な役柄に徹していたが、あれ以上の狂気を本作で見ることができた。歪んだ理想を目指すハイ・エボリューショナリーにガーディアンズ・オブ・ギャラクシーが真っ向から対決することで、「完璧な存在などないし、それぞれ長所も短所もあるからこそ生命体は補い合う」というテーマに結実していく。

 また、本作のある場面で、マンティス(ポム・クレメンティフ)がネビュラ(カレン・ギラン)との口論の中で語ったことも、ありのままを否定しないテーマ性に合致していてとても良かった。マンティスは2作目の初登場時こそインパクトが強烈だったが、いまやマンティスはチームに馴染んでいるし、このチームのことを深く理解しているんだよな…と、彼女の成長を垣間見れた気がした。

 インパクトといえば、本作で登場した新キャラクターのアダム・ウォーロック。ノーウェアでの奇襲時、急にバコーン!とぶち破ってくるあの速さにビビるし、ガーディアンズの面々を容赦なくボコボコにする。ブレーキがないのか君は。終盤では、そんなアダムがガーディアンズオブギャラクシー達の行動や姿から、何かを学び取っていく。まだまだ彼は語りがいのあるキャラクターだろうし、今回のアダムの登場はジェームズ・ガンからMCUへの置き土産のように思える。

 終盤で明示される、スターロードとガモーラの関係性の潔い終止符や、ガーディアンズのメンバーのその後の道筋には納得した。メンバーは各所へ散り散りになったが、この広大な宇宙でそれぞれの人生を過ごしたり、やるべきことをやったり、音楽とともに踊り散らかしたりするのだと考えると『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズとして素敵な帰着だと感じた。

 エンドクレジット後のワンシーンとして添えられた、地球でのクイル家の平凡な一コマ(芝刈り機云々…)。一見しょうもない場面ではあるが、宇宙のトレジャー・ハンターとして生きてきたスターロードにとっては、今まで経験すらできなかった貴重な「平凡な日々」を過ごしているわけで。今回の3作目はロケットが中心にいるものの、やはりシリーズ1作目が母親を失ったピーター・クイルの幼少期の場面から始まっているため、最後の最後は、この宇宙の片隅で彼が穏やかに過ごす場面で終わることに納得。肩の力を抜いてフッと笑えて終わるバランスが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』らしい。

 

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 ちなみに、アダムがロケットを襲撃する場面では、ネビュラが真っ先に駆けつけた。突然の事態にも関わらず、ネビュラの初動が早い点に、サノスの指パッチン後の5年間を過ごした同士の絆を感じた。また、ネビュラの武器装備が後期のアイアンマンっぽくて、ネビュラが一緒に宇宙を漂って過ごしたトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)の影響を受けているのでは…と思わずにいられなかった。MCUはこういう風に過去作の文脈を重ねるのがうまい。