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水泳中の思考:『はい、泳げません』について

 自分は「泳げる」か「泳げない」かでいうと、「泳げる」人だ。速くはないけど。休みの日、屋内プールで泳ぐことがある。屋内プールであれば季節問わず営業しているので、寒い2月でも泳ぎに行くことは全然ある。教室ではなく一般レーンで気ままに泳ぐだけだが、水泳は全身を使うので、1時間も経つと身体が心地よく疲れてよい運動になる。泳いでる間は様々なことを考える。いや、自然と考えてしまう。自分が抱える仕事のこと、ニュースで見聞きした話題、遠い昔の恥ずかしい失敗の記憶、「泳いだ後、何を食べるか」というしょうもないこと。いろいろよく考える。

 『はい、泳げません』という映画を見た。『はい、泳げません』とは2022年6月10日に公開された邦画。大学教授・小鳥遊雄司(長谷川博己)は水に顔をつけることもできないほどのカナヅチ。泳げるようになるため水泳コーチ・薄原静香(綾瀬はるか)から指導してもらうことになるのだが…。

 「真面目」過ぎるがゆえに考えすぎる小鳥遊と、泳ぐことに対して「真面目」な静香コーチの二人の掛け合いがまず面白い。特に長谷川博己は『デート~恋とはどんなものかしら~』を彷彿とさせるような、理屈っぽいキャラクターが今回も似合っている。この映画では水泳において危険な行為も登場するが、そこは静香コーチがNGを出して注意したり対応したりしている。

 静香コーチは水泳が人生の主軸にあるような人で、彼女が小鳥遊のメンターとして真摯に水泳を指導していく。彼女の水泳指導も、水泳初心者にとってはわかりやすいものになっている。水泳における呼吸方法をあることに例えたり、泳ぐにあたって人間の身体の特徴を実感が伴う形で指導したりしていて、説明としてはとても飲み込みやすい。彼女が持っている知識や経験を、彼に伝えることによって小鳥遊は変わっていく。

 小鳥遊の「泳げるようになりたい」という思いの根底には、実はある過去が影響していることが映画の中盤で分かる。それは一人で向き合うにはあまりに重いトラウマだ。そんな苦しい過去を「泳げるようになる」ことで、未来へ進んでいくことの意味が重ねられている。少し前の彼には思いもしなかった他者との出会いや、泳法の知識や技術を理解したうえで、少しずつ変わっていく。

 また、水中の世界は、空気中の世界から切り離されていて、内省的になりやすい環境であることが描かれている。この辺りの水泳中の思考は、鴨下教授(小林薫)の説明が腑に落ちた。小鳥遊は水中でもよく考える。泳ぎながら自分の過去や記憶と向き合っていく様は苦しいが、何かを「できなかった」人が、せめてもの思いで「できるようになる」姿は美しかった。

 その他の細かいところを拾っていくと、小鳥遊と静香コーチとの初めての出会いの場面が大袈裟ではなくヌルッと始まるのは個人的には良かった。小鳥遊がスイミングスクールに足を運んだきっかけは、チラシを見て「なんとなく」向かったようにしか見えないのだが、人生で何かが変わるタイミングって意外と「なんとなく」で訪れるのかもしれない。ただ、全体的にカットの切り替わりが不自然で、唐突な演出(特に納豆…)には戸惑うことが多かった。その一方で、とある電話での通話の場面やある動物が登場するカットの意外性や嬉しい驚きもあって、かなり変わった映画だった。

 水泳が他の運動と違う点は「溺れる」というリスクがあること。溺れることへの恐怖もこの映画は描かれているし、それは本当に一瞬なのだということもよくわかるようになっている。だからこそ、事前の準備運動は必須だし、水中で無茶や危険な行為をしないことは大切だ。水泳ってよくよく考えると興味深い行為だよね…と、この映画を見て思いなおした。次に自分が水中を泳ぐときには、『はい、泳げません』のことを考えながら泳ぐことになるだろう。

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ヌルッと始まる受付のシーン。