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細かすぎることばかりが:ダウ90000『旅館じゃないんだからさ』について

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 2024年9月28日、近鉄アート館でダウ90000第六回演劇公演『旅館じゃないんだからさ』を見た。後日、アーカイブ映像配信でも見直したが、やはり面白かった。

 客がいないTSUTAYAの店内。店員の片山(園田祥太)が買ってきた旅行土産に、同僚の塚田(道上珠妃)が呆れている。すると、初めてのレンタルショップに興味津々な亜子(忽那文香)や、新人バイトの及川(上原佑太)らがやってくる。二人しかいなかった店内が徐々に騒がしくなる…。

 レンタルショップの店内で繰り広げられる人間模様。DVDを借りる。借りたら返す。ときには会員カードを更新する。それだけの場所で、本来起こるはずのない状況やありえない会話が次々と巻き起こる。なんてことのないものに別の意味が付与される。本来そこまでの価値がないものに新たな価値が見出される。気にしてもしょうがないことにこだわり続ける。そんな細かすぎることばかりが表現されていて、笑いながらも自分の記憶を刺激される瞬間がいくつもあった。

 自分が最後にレンタルショップを利用したのは何年も前。すっかり遠ざかった存在になっている。自分の財布の中の使わなくなったTカードのレンタル有効期限はとっくに過ぎている。Tカードは、いまやVポイントカードになっているし。5年後、10年後のレンタルショップの店舗数は2024年現在よりも確実に減るだろう。劇中に登場する店舗だって、この先どうなるかは分からない。本作のラストにて、閉店後の真っ暗な店舗の中で、小さなモニターで映画のDVDを再生する光景は、消えゆく空間の中で灯された希望の名残のように見えた。

 最後に。本作のタイトル『旅館じゃないんだからさ』は、DVDの貸し出し期限を「宿泊日数」で表すことへの、優しいツッコミのように思えた。2日レンタルするだけのことを「1泊2日」と呼称し始めた人って、案外面白い人だったのかもしれない。

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エンタメの箱に梱包された問い:『ラストマイル』について

 ブラックフライデーの前夜、大手ショッピングサイト「DAIRY FAST」から出荷された配送物が爆発する事件が発生。爆破が相次ぐ中、巨大物流倉庫のセンター長に就いたばかりの舟渡エレナ(満島ひかり)は、チームマネージャーの梨本孔(岡田将生)と事態の対応に追われる。

 テレビドラマ『アンナチュラル』『MIU404』とも世界線を共有しており、両作品のキャラクターが『ラストマイル』にも登場する。『アンナチュラル』『MIU404』の特徴は、事件の謎を追いかけていくと徐々に社会問題が見えてくる構成にある。脚本を手がける野木亜紀子の手腕が光る。同じ座組で作られた『ラストマイル』においても同様の構成がとられている。エンターテイメントという箱の中に社会への問いが梱包されているのだ。


 『ラストマイル』はブラックフライデーで慌ただしい物流の現場を題材にしている。まず、それを2時間の映画にしようという着眼点が面白い。劇中のDAIRY FAST社はどう見てもAmazonをモデルにしている。ただ、ネットショッピングは多くの人が利用する身近なものなのに、その裏側や実態はどうなっているのかはよく知らない。多くの人にとって、自分事として興味を持ちやすい切り口だ


 舞台となる物流センターや配達フローの描写は解像度が高い。大量の荷物がひしめき合うこんな空間に爆発物が紛れていたら…と考えるとゾッとする。ただでさえ忙しいのにどうやって爆発物を探せばいいのよ?という登場人物の気持ちにも、強固な説得力が生じる。一体誰が何のために?爆弾は残り何個ある? 連続爆破を巡るミステリーの展開は非常に面白く、事件の全貌が見えたなと思ったところから、さらにもう一展開あり、飽きさせないつくりになっている

 連続爆破事件の謎を探るうちに、物語は「物流」のシステムだけでなく「労働」や「格差」を巡る話にも接近していく。例えば、正社員のオフィスはゆったりしているが、その他大勢の派遣労働者やカスタマーセンターは狭い空間で働いている。そんな密度の対比が繰り返し出てくる。ネットショッピングが盛況になればなるほど、運ぶべき荷物や仕事量は増えて、稼働し続ける現場は疲弊していく。

 物流システムにおける「発注元」と「下請け」という関係性。「本社」と「支店」という関係性。そして「販売者」と「お客様」という関係性。それぞれの関係性が入り組んだ状況で、余裕がないままだと、どこかで板挟みになって苦しむ人が当然出てくる。稼働を止められない社会のシステムにどう抗うか、何か変えられる余地はないのかというレベルの話もしている。労働力としては目減りしていく一方なのに、運ぶべき荷物や仕事量はめちゃくちゃ多い…という、衰退していく日本社会への問題提起にもなっている。

 『ラストマイル』では「線」が象徴的に撮られている。物が運ばれるベルトコンベアの動線、道路、モノレールの線路、商品の在庫の棚の区画、箱に貼られた養生テープ、そして、柵。一線を越えてしまった人。それでも踏みとどまっている人。線に沿って仕事をしている人。その線の先で生活している人。様々な人物が『ラストマイル』には出てくるが、その個々人の思いや姿勢を自分と照らし合わせて見ることができる余地がこの作品にはあった。

融合/『ROCK or LIVE -ロックお笑い部- Vol.3 Base Ball Bear × ダウ90000』について

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 自分はBase Ball Bearというバンド とダウ90000という8人組ユニットのファンだ。この2組が大阪でツーマンライブをすることになり、2024年1月27日、GORILLA HALL OSAKAにて行われた『ROCK or LIVE -ロックお笑い部- Vol.3 Base Ball Bear × ダウ90000』に参加した。それぞれの活動を追い続けている自分にとっては、思ってもみないコラボ企画だった。

 

 開演時、Base Ball Bear のお馴染みの出囃子であるXTCの『Making Plans for Nigel』が鳴り響き、まずはBase Ball Bearの3人が登場するのだなと構えていると、意外にも舞台に現れたのはダウ90000の上原佑太と中島百依子。いきなりコント『ピーク』が始まった。

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 終電間際に街で偶然知り合った社会人の男女が、外で飲みながら話していると…というもので、ダウ90000の中でも珠玉の切ないコントだ。そのコントが終わると、Base Ball Bearの3人がスッと舞台上に現れる。切なさが残るコントの内容と呼応するかのように、Base Ball Bearの楽曲『不思議な夜』の演奏が始まり、『short hair』『そんなに好きじゃなかった』といった楽曲へ移行していく。

 

 続いて、ダウ90000から蓮見翔と園田祥太が登場し、2人だけで漫才を披露。実際、この2人はダウ90000ではなく『1000』というコンビ名でM-1グランプリにも出場している。1週間前に5年付き合った彼女と別れたばかりの園田のタイムリーな話題に沸き、「このライブを神回にしたい」と息巻く蓮見の毒舌が止まらず、園田や観客を巻き込みながら笑いの渦を起こす。その後は、Base Ball Bearとバトンタッチ。まもなくリリース予定のアルバムから新曲『夕日、刺さる部屋』、2023年6月28日に配信リリースされた『Endless Etude』、そしてBase Ball Bear小出祐介がラップを披露する『The Cut』と畳み掛けていく。

 

 その後、ラップつながりということもあってか、ダウ90000の飯原僚也が扮するMC.徳島のコーナーへ。MC.徳島がBase Ball Bearが生演奏する『EIGHT BEAT詩』のトラックにのせて、ダウ90000の他メンバーへの不満をラップでディスるディスる。くだらないといえばくだらないのだが、リリックは鋭いものもあり、笑いながら感心した。また、このコーナー内でも園田の失恋話が語られたのだが、それを聞いたBase Ball Bearの関根史織がいたたまれなくなったのか両手でしばらく自身の顔を覆っていたのが印象的だった。

 

 その後、ダウ90000のコント『三竦み(さんすくみ)』へ。恋愛は所詮じゃんけんのように三竦みでグルグル回っているという構造を巧みに描いたコントなのだが、その三竦みにすら入れない孤独な役柄が園田。舞台上に園田を残したまま、Base Ball Bear『kodoku no synthesizer』へ。3人がこの曲を演奏している間も園田は物思いに耽っていて、直前のコントや楽曲自体の内容を越えて、何と言っていいかわからない気持ちで見ていた。その後、園田はフッと笑みを浮かべて去り、Base Ball Bear『Tabibito In The Dark』、『changes』へ接続していく。悲しみや痛みを振り払った後の希望を提示しているようで、コント『三竦み』の結末のその先を照らすような選曲にも感じた。

 

 アンコールでは、Base Ball Bearとダウ90000の全メンバーが再集結。2022年11月23日に公開された劇場版ダウ90000ドキュメンタリー『耳をかして』の中で披露された曲『耳をかして』。当時はダウ90000の忽那文香だけがラップで歌っていたが、今回はこの曲をBase Ball Bearの演奏とともにダウ90000の8人全員で披露。歌詞の内容はダウ90000の自己紹介かつセルフボーストになっていて、今回は8人がそれを歌うことで、当時よりもパワーアップして聴こえた。

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 ほとんど楽しかったのだが、少し残念だったことも。それはダウ90000のコントの最中、舞台袖の無関係な音や話し声が何度かマイクで拾われたままになっていたこと。そのため、舞台上の台詞が一部遮られていて、ややノイズに感じてしまった。

 

 とはいえ、自分が聴き続けているBase Ball Bearと見続けているダウ90000が、羅列ではなく融合していることに不思議な感慨を抱いた。コントと楽曲が溶け合う多幸感は、他に経験したことのないものだった。これが一夜限りではなく、次に続く何かの始まりのように感じた。まだまだこの2組が組むことで新しいものが生まれる可能性がある。いつかまた違う形での融合を見られたら。

 

2023年映画ベスト10

 2023年に鑑賞した新作映画60本の中から良かったものを10本選びました。2023年のベスト10は以下のとおりです。

 ということで、ここからは選んだ10本の映画について、自分なりに感じたことを10位から順に並べていきます。

 

 

10位 最後まで行く 2023年6月4日鑑賞

 同名韓国映画藤井道人監督が日本版としてリメイク。刑事の工藤(岡田准一)は危篤の母のもとに向かうため車を飛ばしていたが、運転中にある男をはねてしまう。遺体の隠滅を図ろうとする工藤だが、工藤のスマホに「お前は人を殺した。知っているぞ」というメッセージが届く。

 マズい事態を誤魔化そうとする岡田准一のアタフタ具合が印象的で、目の前の相手と話しながらも、頭の中では違うことを考えてもいる。焦っている人間の「心ここにあらず」な様子がダサくて真に迫っている。その一方で、工藤を追い詰める矢崎(綾野剛)のヌメッとした存在感もたまらなくいい。綾野剛が表情を使い分けたり、一瞬で「オラァ!」とブチ切れてテンションを変えたりするのが怖い怖い。そんな工藤と矢崎の「追う」「逃げる」「隠す」「見抜く」の行動が面白くて。

 文字通り地を這うようなアクションや、万札にまみれながらの攻防もルックとして見応えあり。特に巨大なドラム缶が落下して、自動車がぺしゃんこに潰れる場面は、実際に落として潰して撮っているだけに相当な迫力があり、劇場鑑賞時は自分含めた観客がビクッと驚いていました。

 

 

9位 グッドバイ、バッドマガジンズ 2023年2月4日鑑賞

 監督は横山翔一。志望していた女性誌とは正反対の男性向け成人雑誌の編集に配属されてしまった詩織(杏花)。ひと癖もふた癖もある編集者やライター、営業担当者たちに囲まれながら一人前の編集者として成長していくが…。

 斜陽の成人向け雑誌編集部の内幕や奮闘を描いていて、題材の着眼点やエピソードが個性的。時代の変化によって、成人向け雑誌の存在自体が"萎えていく"中で、もがこうとする人々の姿に、不思議な共感と悲哀を感じました。編集部に配属された新人・詩織が仕事の荒波にもまれていくうちに、彼女の目つきが々に鋭く変わっていく。ある場面で彼女が放つ「私、怒ってるんですか?」という台詞も良い。

 自分は映画に登場する世界とは特に関係のない職種ですが、自分自身の仕事や生活に置き換えて見てしまうポイントがいくつもありました。知られざる業界の内幕を描いた映画ですが、実は普遍的なことを言っているのではないでしょうか。彼女をとりまく同僚・上司らの人物描写も絶妙で、お仕事モノとしての側面も楽しみました。

 

 

8位 リバー、流れないでよ 2023年6月25日鑑賞

 「ヨーロッパ企画」が手がけたオリジナル長編映画第2作。同劇団の上田誠が脚本を書き、山口淳太が監督を務める。京都・貴船の老舗料理旅館で仲居として働くミコトは、別館裏の貴船川のほとりにたたずんでいたところを女将に呼ばれ、仕事へと戻る。だが2分後、なぜか先ほどと同じ場所に立っていた。番頭や仲居、料理人、宿泊客たちもみな、2分間を繰り返していることに気づく。

 冬の貴船を舞台に2分間のタイムループが発生。時間に閉じこめられて、旅館の中や周辺を右往左往。本来不可逆な時間が戻りに戻りまくる。1分でも3分でもない、2分の繰り返しの中で、いったい何を見出せるか?という話でもあって。たった2分間、されど2分間。すぐ終わって、また始まる2分間。その繰り返しの中から生まれる騒動や混乱が面白くて、すこし切ない。

 冬の貴船のロケーションが良く、鑑賞してから数か月後に実際に貴船まで行っちゃいました。現地に行くと「マジでこんな狭い範囲で撮ってたのか…」とビックリしました。また、本作クラウドファンディングにも参加していたのですが、特典のメイキングDVDを見たら、「2分間」という制約があるため、OKが出るたびに出演者がガッツポーズをしていて、現場の苦労を垣間見たのでした。お、お疲れ様でした…。

 

 

7位 ほつれる 2023年9月10日鑑賞

 監督・脚本は劇団「た組」主宰の加藤拓也。夫婦関係がすっかり冷え切っている綿子(門脇麦)は、友人の紹介で知りあった男性・木村(染谷将太)と頻繁に会うようになる。ある日、綿子と木村の関係を揺るがす決定的な出来事が起こる。

 2023年5月19日に舞台版『綿子はもつれる』を観劇しました。舞台版『綿子はもつれる』と映画版『ほつれる』の根幹は共通していますが、細部はかなり異なるため、映画版では、綿子のまた違う一面を見ているようでゾワゾワしました。

 この映画では、登場人物たちの会話で「整っていない言葉」がよく出てきます。例えば劇中の「正直…〇〇というのが正直なところです」というセリフ。意味としては重複していますが、普段の会話でも、我々は100%整理された言葉で喋れているわけではないですよね。このような"整っていない"言葉のざらつきに、リアリティを感じました。

 舞台版『綿子はもつれる』は窮屈な空気感がしんどく、終わり方もホラーチックというかめちゃめちゃ怖いのですよ。映画『ほつれる』も窮屈といえば窮屈ですが、綿子が色々移動している様子も描かれ、彼女が何か拠り所を外に求めようとしている。映画のラストの余韻はどこか開放的な心地もあり、舞台版とは異なる軽やかな印象を抱いたのでした。

 

 

6位 怪物 2023年6月3日鑑賞

 坂元裕二によるオリジナル脚本で、監督は是枝裕和。麦野早織(安藤サクラ)はシングルマザーとして、小学生の息子・湊(黒川想矢)を育てている。最近の湊の異変を心配した早織は、湊に問いただすと「担任教師の保利(永山瑛太)から体罰を受けた」と答える。

 坂元裕二是枝裕和がそれぞれ大事にしてきたものが接続したような映画でした。人によって見える世界や認識が違うこと、他者を理解すること、それらの難しさを映し出していて、この作品が作られた意味は大きいと思います。

 余談ですが、本作における野呂佳代の「息子の同級生のママ友」感が、全出演者の中でも妙な説得力を醸し出していて唸りました。

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5位 イニシェリン島の精霊 2023年1月29日鑑賞

監督・脚本はマーティン・マクドナー。1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島。この島で暮らすパードリック(コリン・ファレル)は、長年の友人コルム(ブレンダン・グリーソン)から絶縁を言い渡される。バードリックには心当たりがなく困惑するが、コルムは頑なに彼を拒絶する。

 孤独、断絶、焦り、自意識。おじさん同士のいざこざを徹頭徹尾描いており、その行く末が気になり、見逃せませんでした。島での生活描写や殺風景が印象的。島の外に全く出られないわけではないが、いざ出るには決心や整理が必要。終始、不穏なムードが続く映画でつらいものの、他者を尊重するとは、自分を保つとは何か?と問うているようで興味深く鑑賞しました。

 この映画の2人ほどではないものの、自分の人生にも心当たりがあります。絶縁というよりは疎遠みたいなものですが…。そっけない態度をとられたこともあれば、こちらから冷たくしてしまったこともありました。そういう記憶って歳を重ねれば薄れていくものだろうと思っていたんですが、いまのところそんなこともなく、鮮明に自分の中に残っているんだなって。この映画を見た後に、個人的な元トモのことを思い返して、しばらく複雑な気持ちになったのでした。

 

 

4位 フェイブルマンズ 2023年3月5日鑑賞

 スティーブン・スピルバーグが自身の原体験をもとにした自伝的作品。映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)は、家族や仲間と過ごす日々のなかで夢を追い求めていく。

 映画づくりに取り憑かれた若者の覚悟と苦悩。中盤で突然現れて去るおじさんとの対話が象徴的で、何かを突き詰めるということは何かを犠牲にすることなのだと主人公も観客も悟りますが、その瞬間が苦い。いや、この瞬間だけじゃなくて、この映画、割と全体的に苦い…。

 映画についての映画ですが、無邪気な映画愛を語るのではなく、むしろ「映画の取り扱いには要注意!」と言っているようでした。単に映画に溺れているわけではなく、映画の中で泳いでいるというか。スピルバーグ自身が"泳げてしまう"人というか。とにもかくにもスピルバーグ自身の若い頃の話を題材に映画1本撮れてしまうのはすごいな、と集中して見入ってしまいました。本作のラストも粋。

 

 

3位 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3 2023年5月3日鑑賞

 ジェームズ・ガン監督・脚本によるシリーズ3作目。ロケット(ブラッドリー・クーパー)が瀕死の重傷を負い、治療の手掛かりを求めるべく、スターロード(クリス・プラット)らは企業オルゴスコープ社に潜入する。

 MCUマーベル・シネマティック・ユニバース)の中でも、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーという作品が好きで。この物語を納得いく形で着地させてくれたことが嬉しくて、とても満足いく内容でした。大好きです。

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2位 窓ぎわのトットちゃん 2023年12月16日鑑賞

 黒柳徹子が自身の子ども時代をつづった世界的ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』を八鍬新之介監督がアニメーション映画化。好奇心旺盛でお話好きなトットちゃん(大野りりあな)は、落ち着きがないため学校を退学させられ、東京・自由が丘にあるトモエ学園に通うことに。そこで、恩師となる小林校長先生(役所広司)らと出会い、のびのびと成長していく。

 トットちゃんが初めて登場する冒頭の場面から心を掴まれて、自分でもビックリするほど落涙。途中で何度か出てくる空想や夢のパートでは、技法、色彩、音がとても豊かで心底驚きました。久々にアニメーション映画を見ることの喜びというか、プリミティブな楽しさを思い出させてくれたようでした。

 幼いトットちゃんの自由気ままな振る舞いも大人たちが温かく見守っている様子やトットちゃんと友達の交流にも落涙しました。徐々に戦争の気配がトットちゃんの暮らしに影響してくると、この世界の淀みや歪みにも気づかずにはいられない。トットちゃんの視点から見えるものをしっかり描き出していて、当時の生活様式の緻密な描写なども含めて作り手のこだわりや覚悟を感じる誠実な映画でした。

 

 

1位 おーい!どんちゃん 2023年9月2日鑑賞

 沖田修一監督・脚本。売れない俳優、道夫(坂口辰平)、郡司(遠藤隆太)、えのけん(大塚ヒロタ)。三人が共同で暮らす一軒家に、ある日、家の前に置いていかれた女の赤ちゃん。彼らは、その子を「どんちゃん」と名付けて、みんなで子育てすることに。

 トットちゃんも素晴らしいのですが、こちらの映画の主人公はどんちゃん。このどんちゃんとは、沖田修一監督の実の娘さんで。この映画の成り立ち自体がかなり独特で面白く、詳細な経緯は沖田修一監督が書かれたnoteに記載されています。

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 2014年~2017年にハンディカムで撮影されていて、映画完成するまでかなりの年月が経過しているんですよね。2023年現在からみると、「ちょっと昔」の空気感がこの映画に保存されていて、不思議な気持ちになりました。いきなり父親になり、赤ちゃんを育てることになった3人の男たちのドタバタぶりと、すくすく育っていくどんちゃんの愛おしさが尊い。マジで尊い

 育児描写はもちろん、役者を目指している3人のオーディションや稽古の描写など、笑ってしまう場面がたっぷりある一方で、なんてことのない場面が感動的でなぜか涙ぐんでしまう。そんな不思議な温もりを感じる映画でした。特殊な形態の映画なので、2024年以降も上映の機会があるのかどうかは不明ですが、素朴ながらも素敵な映画なので、細々でも見られる機会が続いていけばいいなぁと勝手に思っています。

 

 

さいごに

 自分が選んだ10本の映画に共通点めいたものを見出すとしたら、なんとなく「親愛」というテーマでくくられるかな、と。親愛や相手を理解することの重要性を描いた作品だったり、親しみを抱いていた…はずなのに関係性がこじられてしまった作品だったり。上記の10作品すべてに当てはまるわけではありませんが、振り返ってみると「親愛」的な要素を感じるものが傾向として多いように思いました。

 2023年という年は個人的にもショックな出来事が起こったこともあって、映画の中で描かれた「親愛」にまつわることは個人的にも響きやすかったのだろうな、と自己分析しています。なかなか大変なことが多いですが、それでも映画を見るという行為をこれからもできる限り大切にし続けたいと思っています。

 それでは、また来年。

 

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視野のズレ:『怪物』について

<以下、『怪物』のネタバレを含んでいます>

 大きな湖のある郊外の町。麦野早織(安藤サクラ)はシングルマザーとして、小学生の息子・湊(黒川想矢)を育てている。最近の湊の挙動不審な様子や怪我を心配した早織は、湊に問いただす。すると、湊は担任教師の保利(永山瑛太)から体罰を受けた、と話し…。

 先日、第76回カンヌ国際映画祭での受賞後の凱旋記者会見にて、『怪物』の脚本を手がけた坂元裕二がとある実体験を語っていた。

「車を運転中、赤信号で待っていました。前にトラックが止まっていて、青になったんですが、そのトラックがなかなか動き出さない。よそ見をしているのかなと思って、クラクションを鳴らしたけど、それでもトラックが動かなかった。ようやく動き出した後に、横断歩道に車いすの方がいて、トラックはその車いすの方が渡りきるのを待っていたんですが、トラックの後ろにいた私には見えなかった。それ以来自分がクラクションを鳴らしてしまったことを後悔し続けていて、世の中には普段生活していて、見えないことがある。私自身、自分が被害者だと思うことにはとても敏感ですが、自分が加害者だと気づくことはとても難しい。それをどうすれば加害者が被害者に対して、していることを気づくことができるだろうか。そのことを常に10年あまり考え続けてきて、その1つの描き方として、3つの視点で描くこの方法を選びました」

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 これは坂元裕二の作家性を象徴するエピソードだ。例えば、連続ドラマ『それでも、生きてゆく』では、殺人事件の加害者家族と被害者家族のそれぞれにしか分からない苦しみを描いていたし、『最高の離婚』では(加害/被害とは違うが)夫婦生活を送る二人の感覚のズレやすれ違い、衝突を描いている。その人に見えている視界、他の人からは見えない視界というものがあり、そのズレから生まれる感情や葛藤を坂元裕二はこれまでも物語に込めている。

 今回、坂元裕二是枝裕和監督が組んだ『怪物』では、複数の視点のズレによって物語が描かれる。本作の舞台となる町に湖がある。湖北から湖を望む景色と湖南から湖を望む景色は違う。人によって視座や世界の見え方が異なること、先入観や断片的な情報だけで物事を判断してしまうことが、そこはかとなく示唆されている。

 学校内で問題が起きた際に、根本的要因や事実を正確に究明しないまま、学校を存続させるために事態を鎮火させようとする教員。劇中の教員らの対応は極端かつ滑稽に思えるが、現実の世の中の様々な問題に置き換えてみると笑うに笑えない。この町で起きることは、他のどこかでも起き得ることだ。

 また、テレビのドッキリ番組を見て「騙されないよ」と言っていた早織が、実態とは異なる「推察」が事実だと信じこみ、グイグイ突き進んでいく。担任教師の保利も、自分が児童の問題の実態を見誤っていたどころか、事実と異なる出来事について謝罪を余儀なくされる。校長の伏見(田中裕子)は、亡くなった孫との写真を早織の視界に入るように置き、同情を誘うことでダメージを和らげようとする。孫の死すら利用してしまう底知れなさが恐ろしいが、伏見は学校を守るために「決めた」人なのだ。

 大人たちの混乱とは別に、本作の核心は湊(黒川想矢)と依里(柊木陽太)が抱える葛藤や感情にある。人には簡単に言えない思いや戸惑い、傷ついたものについて二人は共鳴する。二人は自分の家族のことをどう捉えているか。湊は、母親から「男らしく、亡き父親のように」と願い(に見える呪い)をかけられているが、そんな父親が不倫していた(かもしれない)ことを知っていて、余計につらい気持ちを抱いていたのではないだろうか。依里も父親(中村獅童)から虐待を受けており、学校ではいじめを受けている。湊もいじめの加害側の同調圧力に屈してしまう。

 最終的に彼らが抱える問題は何ら解決しておらず、台風が過ぎ去った後、この二人が晴れやかな山の上で駆ける場面で映画はラストを迎える。絶望がゴロゴロ転がっている世界から切り離された場所で、ここだけは何にも縛られないでいたい、という二人の祈りを感じた。ただ、一つ不満点を挙げるとしたら、最後に再び早織や保利の視点に立ち返って見たかった。

 劇中でたびたび登場する「怪物、だーれだ?」という問いかけは、本作のキャッチコピーにもなっている。動物の絵を自分のおでこに掲げ、お互い質問し合うことで、その正体を当てる「インディアンポーカー」のようなゲームだ。この映画自体、ある意味このゲームのようなもので、「あなたから見て、こちらの姿はどのように見えていますか?」と問いかけ、思考を促している。他者との対話を重ねて探っていくこと、それが視野のズレを埋めることになるはずだ。

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言葉の鮮度:ダウ90000『また点滅に戻るだけ』について

 以前、ダウ90000の『ずっと正月』の感想で、「いつかこの人たちのライブを生で見れたらな」と書いたことがある。

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 その後も、ダウ90000のライブや公演は配信で追いかけていて、2023年5月21日、本多劇場にて第5回演劇公演『また点滅に戻るだけ』を運よく最前列で観劇する機会に恵まれた。これまで画面越しで見ていた8人の姿を初めて生で見ることができた。

 5月のゴールデンウイーク。ゲームセンター「サーカス」に、20代になった高校の同級生たちが久々に足を運ぶ。駄弁っていると、芸能活動をしているミオ(中島 百依子)の過去のプリクラが週刊誌に掲載された話題へ。一体、誰がプリクラを流出させたのか…?

 プリクラ、ガチャガチャ、メダルゲームが並ぶゲームセンターが今回の舞台だ。ゲーセンって、まぶしくて、ずっと何かしら点滅している。ああ、そっか。『また点滅に戻るだけ』の「点滅」ってゲーセンのことか、と公演のタイトルに納得。舞台設計は2階建てで、横だけでなく、上下の縦移動もあり、空間が広く使われている。ゲームセンターというワンシチュエーションでの8人の会話によって、過去の思い出話が混ぜこぜになりつつ、話が展開する。

 また、8人の会話の中だけで出てくる人々の存在が面白い。前に住んでいた部屋の隣人。飯踏(忽那 文香)が仲良くしているミオのお母さん。カワサキ先輩、ユリカ先輩をはじめとする、いくらなんでも人物相関図がややこしすぎる高校時代の先輩。その場にはいないのに、彼らの会話の中から立ち上がってくる人の存在までもが面白い。

 劇中では、聞いたことのない表現や例えツッコミが飛び交う。プリクラ流出の謎解きとは別に、今回の話の軸は「言葉選び」や「センス」にあることが浮かび上がってくる。

 日々の生活とは何かを受け渡したり受け取ったりするのを繰り返していくことなのだと、個人的に最近よく思う。個性が立っている言葉を相手に投げかけて、それで盛り上がったりとか。前に付き合っていた人の口癖とか、好きな人が用いていたフレーズが自分の中に蓄積されて、また別の誰かに渡っていったりとか。相手に渡した自覚がなくても、知らず知らずのうちに相手の手元に行き渡っていることもあるし。そういうことの繰り返しなのかなって。その繰り返しの中で、自分らしい言葉やセンスも磨かれていくんじゃないか、って。

 ダウ90000の蓮見翔という人は、言葉の鮮度を本当に大事にしている。他の作家の「手垢」がつく前に、鮮度が落ちないうちに、いま面白いものや言葉を世に出したいというモチベーションを感じ取った。これからのダウ90000から発信される言葉や表現を、これからも受け取りたい。

 

この宇宙の片隅で:『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』について

 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目のパンフレットを読み返した。製作のケヴィン・ファイギが「『アイアンマン』の第1作以来、最もリスキーな作品だと個人的に思います」と語っていた。もう今となっては思い出しにくいが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の存在は2014年の映画公開前は無名に近かった。作り手側は無名に近いキャラクターらを映画化するリスクを背負い、映画制作に挑戦していた。

 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目はMCUの中でも屈指の名作だ。宇宙規模の冒険活劇やスケール感を提示できたこと、マイナーで珍妙なキャラクター達が主役であっても大作として成立できたことが、その後のマーベル・スタジオの自信に繋がっていったのではないか、とさえ思っている。そんな『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ3部作が今回、完結した。

<以下、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』のネタバレを含んでいます>

 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの本部に、金色の超人アダム・ウォーロック(ウィル・ポールター)が奇襲し、ロケット(ブラッドリー・クーパー)が瀕死の重傷を負う。ロケット治療の手掛かりは、ロケット誕生に関係している企業オルゴスコープ社の中にあることが判明。それを知ったスターロード(クリス・プラット)らはオルゴスコープ社に潜入するが…。

 自分はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの一員であるロケットが、キャラクターとして好きだ。そのアライグマの見た目とは裏腹に毒舌家で、知能が高くメカに強い。ただ、強いだけではなく、どこか悲壮感や寂しさが漂っており、そのギャップに親近感を感じていた。

 今回の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』では、ガーディアンズの行動の目的が「死の淵にいる仲間(ロケット)を救うため」というストレートなものであり、ロケットが本作の中心に位置づけられている。ロケットは遺伝子改造によって生み出された…という設定だが、実際にはどのような経緯だったのか、壮絶な過去のエピソードが容赦なく描かれる。個人的にロケットに思い入れが強いこともあり、見るのもなかなかつらかった。

 そして、ロケットを生み出した張本人のハイ・エボリューショナリー(チュクーディ・イウジ)が、まあ憎たらしい。「完璧」を目指すあまり、むごい生物実験や改造を繰り返すヴィランで、「コ、コイツは絶対止めないと…」と決意させるほど、ムカつく言動の数々を繰り返す。演じるチュクーディ・イウジは、ジェームズ・ガンが出がけるDCのドラマシリーズ『ピースメイカー』でも不穏な役柄に徹していたが、あれ以上の狂気を本作で見ることができた。歪んだ理想を目指すハイ・エボリューショナリーにガーディアンズ・オブ・ギャラクシーが真っ向から対決することで、「完璧な存在などないし、それぞれ長所も短所もあるからこそ生命体は補い合う」というテーマに結実していく。

 また、本作のある場面で、マンティス(ポム・クレメンティフ)がネビュラ(カレン・ギラン)との口論の中で語ったことも、ありのままを否定しないテーマ性に合致していてとても良かった。マンティスは2作目の初登場時こそインパクトが強烈だったが、いまやマンティスはチームに馴染んでいるし、このチームのことを深く理解しているんだよな…と、彼女の成長を垣間見れた気がした。

 インパクトといえば、本作で登場した新キャラクターのアダム・ウォーロック。ノーウェアでの奇襲時、急にバコーン!とぶち破ってくるあの速さにビビるし、ガーディアンズの面々を容赦なくボコボコにする。ブレーキがないのか君は。終盤では、そんなアダムがガーディアンズオブギャラクシー達の行動や姿から、何かを学び取っていく。まだまだ彼は語りがいのあるキャラクターだろうし、今回のアダムの登場はジェームズ・ガンからMCUへの置き土産のように思える。

 終盤で明示される、スターロードとガモーラの関係性の潔い終止符や、ガーディアンズのメンバーのその後の道筋には納得した。メンバーは各所へ散り散りになったが、この広大な宇宙でそれぞれの人生を過ごしたり、やるべきことをやったり、音楽とともに踊り散らかしたりするのだと考えると『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズとして素敵な帰着だと感じた。

 エンドクレジット後のワンシーンとして添えられた、地球でのクイル家の平凡な一コマ(芝刈り機云々…)。一見しょうもない場面ではあるが、宇宙のトレジャー・ハンターとして生きてきたスターロードにとっては、今まで経験すらできなかった貴重な「平凡な日々」を過ごしているわけで。今回の3作目はロケットが中心にいるものの、やはりシリーズ1作目が母親を失ったピーター・クイルの幼少期の場面から始まっているため、最後の最後は、この宇宙の片隅で彼が穏やかに過ごす場面で終わることに納得。肩の力を抜いてフッと笑えて終わるバランスが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』らしい。

 

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 ちなみに、アダムがロケットを襲撃する場面では、ネビュラが真っ先に駆けつけた。突然の事態にも関わらず、ネビュラの初動が早い点に、サノスの指パッチン後の5年間を過ごした同士の絆を感じた。また、ネビュラの武器装備が後期のアイアンマンっぽくて、ネビュラが一緒に宇宙を漂って過ごしたトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)の影響を受けているのでは…と思わずにいられなかった。MCUはこういう風に過去作の文脈を重ねるのがうまい。