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脚立のシルクドゥソレイユ:ゆうめい『養生』について

 2025年11月、ゆうめい という団体の演劇『養生』を観た。ゆうめいの演劇を観たのは今回が初めてなのだが、今年どころか、ここ数年観た演劇の中でもトップクラスの衝撃を受けた。

 美大生の橋本(本橋龍)と、大学生の阿部(丙次)はショッピングモールや百貨店の内装を行う夜勤バイトで出会う。正社員のことをネタに「卒業したら絶対ああならない」と陰で笑い合っていたが、10年後、二人はその夜勤の正社員になっていた…。

 普段なかなか見ないサイズの脚立が舞台上でまあ動く動く。シルクドゥソレイユかというくらい動く動く。脚立を資材やエレベーターなど、いろんなモノに見立てて、観客の想像力を借りながら物語が動いていく。登場人物の会話に注意を向けていると、いつのまにか複数の脚立が目の前で組み上がっているから驚く。脚立の運動は、まるで彼らの行き詰まった自意識を封じ込めては解放して、そしてまた封じ込めているようだ。脚立を用いた異様な美術と、彼らの言動や心情がリンクしている。

 やりたいことをするための労働だったはずなのに、挑戦よりも安定を選び、いつのまにか手段と目的が入れ替わっている。彼らは自分の現状を正当化するためにそれらしい理屈を並べるが、心の底から湧き出た言葉なのか、どこかで聞きかじって借りてきた言葉なのか。言っている本人にすら分からない。そして、すべてがしっちゃかめっちゃかになった状況で放たれる阿部の叫び。誰かの人生の絶望の淵を覗いているようで、心底恐ろしかった。

 これは残酷な演劇だが、絶望オンリーなのかというと、そんなことはなくて、希望はギリギリ残ってはいる。養生テープはガムテープと違って剥がしやすいし、脚立は畳めば形状も変わる。我が道を進んで挑戦した者は病んでしまって結局・・・ということも無常に示唆され、現状に順応することは甘えだとは限らない。結局、環境を変えるのも変えないのも自分次第なのだ。だから、どの選択肢が本人にとってベストなのかなんてことは、とどのつまり本人にもわからない。誰にもわからない。

 自分も学生時代に百貨店で1年ほどバイトしていた。劇中の彼らとは全く異なる日勤の仕事内容だが、演劇を見ながら当時の楽しくない記憶が蘇った。劇中で「百貨店の入口が地獄の門に見える」という趣旨の台詞があったが、自分もまさにそう見えていたし。きらびやかな百貨店のフロアと従業員用の薄暗い通路の落差が地味に効いてくるんだろうな、なんてことを十数年越しに気づいたのだった。

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