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演じる男を演じること:『宮松と山下』について

 約1年前、ある映画の撮影にボランティアエキストラとして3日ほど参加した。映画が好きでいろいろ見続けているが「映画の撮影現場ってしっかり見たことないよな、覗いてみたいよな」と唐突に思い立ち、たまたまTwitterで見つけた告知から応募して参加した。現場では、エキストラ参加自体が趣味という人、出演俳優のファン、役者の卵など、いろんな属性の人たちが参加していた。さっきまで一緒にロケ弁を食べたり、「どこからきたんですか」みたいな雑談をしていた人同士が、指定の配置に付いて「ヨーイ」と合図がかかると、フッと見物客になりきって映画の一部と化した瞬間がとてもシュールだったことを覚えている。

 2022年11月18日に公開された映画『宮松と山下』を見た。主人公である宮松(香川照之)は、(ボランティアではない)エキストラ俳優だ。エキストラだけでは食っていけないため、ロープウェイの仕事を掛け持ちしながら、映画やドラマの名もなき端役として出演し続けている。実は宮松は記憶喪失のため過去の記憶が欠落している。そんな宮松の前にかつての同僚だという男(尾美としのり)が現れる…。

 序盤、瓦屋根が立ち並ぶカットが印象的だ。一つ一つの瓦が組み合わさり、大きな屋根が形成されている。その一連のカットで、その瓦屋根は時代劇のセットの一部であることがわかる。その瓦はまるでエキストラによって映画が成り立っていることを示唆しているようで、初っ端からその映像だけで何かを物語ろうとしている。

 近年、けたたましい演技をすっかりものにした香川照之は、『宮松と山下』では2000年代の香川照之を彷彿とさせる演技のトーンに回帰している。なんなら『ゆれる』や『トウキョウソナタ』での香川照之を連想した。しょぼくれたような印象とともに、どこかミステリアスなムードをまとっている。あまり多くを語りすぎないこの映画の温度に合っている。主人公の宮松がエキストラ俳優という設定もあり、本作は、何が虚構か、何が現実かわからない仕掛けが施されており、「これはどっちなんだろ?」と考えながらスクリーンを凝視した。

 演じるということは、主役に限らず台詞がないエキストラでさえも、違う自分になれる。今の自分を一旦遮断することができる。そして、出番が終わると、役から離れて素の自分に戻る。宮松がエキストラを演じ続けているのは、別の自分になりたいという思いをどこかで抱えているからだろう。本作での香川照之は、エキストラとして演じる男を演じており、ある意味、二重の演技をしている。

 人は一面では語れない、わからないということも見えてくる。宮松だけでなく、過去の宮松を知る周囲の人物達も、また多面的だ。宮松は自分でも覚えていない自分の痕跡をたどっていき、自分も知らない自分の過去を知っていく過程が興味深い。スッキリしない後味ではあるが、このスッキリしなさは嫌いではなかった。