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お風呂に入ると思い出してしまう:『LOVE LIFE』について

 1991年10月25日にリリースされた矢野顕子のアルバム『LOVE LIFE』。そのアルバムの最後の10曲目に収録されている曲の名もまた『LOVE LIFE』。そして、さらにこの曲からインスパイアされて深田晃司監督が作った映画のタイトルもこれまた『LOVE LIFE』。そんな映画『LOVE LIFE』を見た。

 妙子(木村文乃)は再婚した夫の二郎(永山絢斗)、前夫との間の息子・敬太(嶋田鉄太)と日々を過ごしている。とある出来事をきっかけに、失踪していた前夫のパク(砂田アトム)が現れるが…。

 この「とある出来事」については、事前の宣伝や予告編等ではフワッと隠されていて、自分は本作を見てこの展開に驚愕することになった。これまでの深田晃司監督の過去作でも不条理な事態は発生していたが、今作も取り返しのつかない事態が起こる。

 

※以下、映画『LOVE LIFE』の内容について含まれています。

 

 妙子の息子である敬太が自宅の浴室内で転倒して亡くなったことを機に、冒頭からたたでさえ不穏だった物語が、まずます影を落としていく。

 浴室は、人が裸になって浴槽に浸かり、心身を休める場所だ。そんな場所で幼い息子が亡くなってしまったものだから、妙子も二郎も自宅のお風呂に入れなくなってしまう。映画の中盤で二人ともそれぞれ浴槽に入るが、当然、亡くなった敬太のことを連想し動揺する。この映画を見た後だと、お風呂に入ると本作を思い出してしまう人は少なくないだろう。

 『LOVE LIFE』の登場人物たちはもともと割り切れなさを抱えていて、相手を気遣う一面もあれば、ひどいことも言ってしまう。ただ、映画を見ている側からすると「それぞれの心情も分からんでもない…」という気にさせられる。この「割り切れなさ」というのは深田晃司監督作品の特徴の一つだ。今回の『LOVE LIFE』においても、人は不確かで様々な側面を持ち合わせている、という当たり前の事実を意外な角度で突きつけられる。

 敬太は何かしらの大会で優勝するほどオセロが強い少年だが、彼の死後、登場人物は白か黒かで決着を着けられない状況に直面していく。自宅で地震に見舞われた妙子が、敬太のオセロの盤を一目散に守ったのは、息子との思い出であること以上に、白黒で決着をつけられるもの(割り切れるもの)にすがりたかった、という思いの発露ではないだろうか。

 本作は「見る/見られる」ことが重要な要素の一つで、誰かの視線を追っているだけでも面白いが、「身体の向き」に着目するともっと面白い。

 例えば、浴室内で妙子とパクが会話をする場面。浴槽に入った妙子のはす向かいに座っているが、途中でパクは妙子の隣に座り直して、妙子と同じ方向を向き、鏡越しに手話で会話しなおす。

 一方、パクが韓国に向かう直前の船着場の場面。二郎の車から降り、パクを追いかけて船に乗り込もうとする妙子。船に向かってグングン進む妙子とバックで運転しながら並走して呼び止めようとする二郎。進んでいる方向自体は同じなのに、身体の向きとしては二人は逆を向いている。このような身体の向きひとつとっても、人と人との関係性の違いが明確に示唆されている。

 木村文乃が演じる妙子は、深田晃司監督の過去作でいうと『歓待』や『ほとりの朔子』における杉野希妃が演じた役柄に近いものを感じた。それは見た目が似ているということではなく、醸し出している雰囲気が似ている。人当たりは良いしキッパリとした物言いもするが、どこか憂いを帯びている。

 本作のポスタービジュアルは、黄色の風船が浮く中、雨に濡れている妙子が立ち尽くしているというものだが、この場面が実際に本編で出てくると、「あ、こういう状況だったんだ…」と驚いた。会場で流れる曲に合わせて、なんとなく身体が揺れて、雨が降ってみんないなくなっても、ゆらゆら踊り続ける妙子。ただ、踊り終わるまで後頭部は映ってもその表情は映らない…。ここだけ切り取ると何のことやらな演出ではあるが、彼女の一連の物語を踏まえると劇中で最も印象深い場面であり、このシチュエーションがポスタービジュアルに採用されたことに納得した。

 そんな『LOVE LIFE』のラストカットは、矢野顕子の同名曲が流れる中、妙子と二郎が自宅の部屋を出て外へ出ていく様をワンカットでとらえている。外に出ると二郎がグラウンドまでテクテク進み、若干遅れて妙子もグラウンドに付いていく。その後は妙子がやや半歩前に進んで歩いていくのに、次郎もそれに付いて歩いていく。どこか二人の今後を暗示するような歩みを見つめながら、この映画は終わる。

 このラストカットは、深田晃司監督の前作『本気のしるし』第5話のとある長回し(こちらも、やはりアパートから外へ飛び出していく)を連想させる。また、『本気のしるし』は「踏切の前の二人」の姿で終わったが、『LOVE LIFE』が「歩き続ける二人」の姿を示して終了したことに、これまでの深田晃司監督作品とは異なる不思議な余韻を感じた。混沌の中にあるわずかばかりの希望のようなものを受け取ったような。

 

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