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『街の上で』について

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【※以下、『街の上で』の内容についてネタバレしています】

 

「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」

 これは映画『街の上で』の本編冒頭に登場する言葉だ。映画のキャッチコピーにも採用されている。主人公の荒川青(若葉竜也)は古着屋で働いている。彼はひょんなことから美大生の卒業制作である映画に出演することに。しかし、青は演技経験がない素人。この言葉は青が「自然に読書をする」だけの演技が全くできなかったためにカットされてしまったシーンのことを示している。

 青は張り切って練習に励み、古本屋の店主・田辺冬子(古川琴音)に練習に付き合ってもらうが、その時点で既にガッチガチだったのだ。だから、余計に目も当てられない。本番での青の姿に言葉を失う撮影クルー達。その状況は滑稽であり、笑ってしまったが、他者の視線を意識した途端、自然でいることができなくなってしまう不器用な彼のことを愛おしく感じてしまった。この映画には、そのほかにも「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」ものがたくさん溢れている。

  他の男と浮気した元彼女・川瀬雪(穂志もえか)を引きずっている青。職質がてら、クセの強い恋バナとも相談ともつかない話を投げかける警官。古着屋で奇抜な猫シャツを購入し、意中の相手への告白に向かうであろう男。この世にはもういない恋人の留守番電話メッセージを聞いて、涙する田辺冬子。「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」ものとは、誰にも侵されることのない、本人にしかわからない「気持ち」といえるだろう。

   ライブハウスで青にメンソールのタバコを1本手渡した女性。カフェで知り合った女性客とバイト終わりの店員が一緒に下北沢を巡る午後。青が古着屋で読書する姿を見て、映画出演をオファーする高橋町子(萩原みのり)。青にシンパシーを抱いたのか単なる気まぐれなのか、青を自宅へ招く城定イハ(中田青渚)。「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」ものとは、他の誰かは気にも留めない、束の間の「出会い」にも当てはまる。

  この『街の上で』では、変わりゆく下北沢の街で、人の気持ちの変化、人と人のささやかな出会いや交流が描かれる。それはときに微笑ましかったり、「何じゃそりゃ」と笑ってしまうようなミニマムなものもある。この『街の上で』に流れている時間がずっと続けばいいのに、と思ってしまうほどで。日々の何てことのない光景、変に肩の力が入り過ぎていない感覚、それらが心地よかった。

  特に、深夜に青とイハが二人だけで語らうシーンが素敵だ。昼間は映画撮影の出番を前にしてソワソワしていた青が、演者の控室として用いられていたイハの自室にまた戻って、おしゃべりしている。同じ場所なのに状況がまるで違う、不思議な対比だ。ここで交わされる深夜の二人のナチュラルな会話や出てくるエピソードは面白くて、二人のおしゃべりをずっと見ていたいほどだ。今泉力哉監督によると、若葉竜也と中田青渚が発する台詞は台本に忠実で、アドリブはほとんどなく、一発撮りだったというから驚きだ。

  本作のラストシーンは、青と雪が冷蔵庫にしばらく眠っていたチョコレートケーキをつまんで食べて笑い合う。そして、そのままあっけなくエンドロールに突入する。ラストシーンにしてはあまりに何気なさ過ぎて、暗転した瞬間に映画が終わったことにビックリしたが、その飾らない終わり方だって好ましく思えた。

 公開中にもう一度、彼らに会いに行くことができないか、タイミングをうかがっている。

 

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