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2021年映画ベスト10

 例年、その年に鑑賞した新作映画から見て良かったものを、年間ベストとして選んでいます。この2021年も鑑賞した新作映画73本の中から10本を選びました。ベスト10は以下のとおりです。

 では、ここからは選んだ10本の映画について自分なりに感じたことを順番に書いていきます。まずは10位から。

 

10位 ドント・ルック・アップ 2021年12月24日鑑賞。

 Netflixで配信中のアダム・マッケイ監督作品。半年後に地球に彗星が衝突することを発見した大学院生ケイト(ジェニファー・ローレンス)とミンディ博士(レオナルド・ディカプリオ)。二人は人類滅亡の危機が目前に迫っていることを大統領に訴えるが…。

 「彗星衝突」という向き合うべき大問題が目の前にあるのに、「いったん様子見」ということで、議論や検討が先送りに。やっと対応策が確定したかと思えば、どうしようもない理由で撤回され…。このドタバタを繰り返しているうちに、持ち時間がどんどん失われていく光景は本当に肝が冷えました。

 映画の中では「地球への彗星衝突」という極端な問題が設定されていますが、これを現実でも起こっている別の問題や出来事に当てはめて考えてみると、笑うに笑えません。ネット上でのリアクションや、世の中のムードの変化などは露骨に描写されていますが、どこか「確かに起こりうるかも…」と納得してしまう嫌なリアリテイがありました。風刺として強すぎます。

 

9位 空白 2021年9月23日鑑賞。

 吉田恵輔監督作品。交通事故により、娘を失った漁師・添田古田新太)。娘の死の傷が癒えない添田は、事故の原因を作ったスーパーの店長・青柳(松坂桃李)へ憎悪を募らせていく。

 まず、中学生の女の子が事故に遭って死亡することがこのお話の発端となっています。この事故のシーンが凄惨でした。事故直後、道路に広がる血や、ドライバーの反応だけで、劇中に直接映っていない光景まで自分の脳内で組み上がってしまう。もう考えたくないイメージが脳裏に浮かんでくる。この事故の場面が強烈なので、そこから先、加害者サイド、被害者サイド、それぞれの登場人物に感情移入してしまうのです。

 劇中で添田が発する「みんなどうやって折り合い付けてるんだろうな」「もやがとれないんだ」という台詞のとおり、鑑賞中は暗い気持ちのままでしたが、突き放したまま終わらないのが吉田恵輔監督らしいところで。取り返しのつかない痛ましい出来事を経験した者にとって、他者と通じ合えた(ような気持ちになった)ことが心の空白を埋める手掛かりになるのではないでしょうか。

 

8位 由宇子の天秤 2021年10月10日鑑賞。

 春本雄二郎監督作品。ドキュメンタリー作品のディレクターである木下由宇子(瀧内公美)は、3年前の女子高生自殺事件について関係者を取材していた。由宇子は父親(光石研)が経営する学習塾に通う生徒の萌(河合優実)からあることを打ち明けられる。

 冒頭、腕時計のアップからこの映画は始まります。腕時計はこの映画の中では何度か出てくるキーアイテムです。時計は時を平等に刻み続けるもので、時を戻せないことの象徴とするならば、この映画は「取り返しのつかないこと」を追いかけていく話だと捉えました。由宇子は仕事とプライベートのそれぞれで「取り返しのつかないこと」を追いかけていくことになるんですが、そこで自己矛盾に突き当たるんですよね。人間って0か100じゃないよね、その間でせめぎ合ってるよね、ってことがこの映画では克明に描かれていました。

 由宇子はガツガツ行動するタフな人間なので見えにくいんですが、実は彼女の心の中では天秤が揺れ続けています。由宇子以外の登場人物も、話が進むにつれて、第一印象が徐々に崩れてくるので、状況の当事者になったときに「自分は今までの自分のままでいられるのか」という胃が痛くなるような問いを突き付けてくる映画でした。恐ろしい。非常に恐ろしい映画ですが、見て良かったです。

 

7位 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 2021年6月20日鑑賞。

 2018年に公開されたホラー映画『クワイエット・プレイス』の続編で、ジョン・クラシンスキー監督が続投。音に反応して人間を襲う「何か」によって、人類が滅亡の危機に瀕した世界。新たな避難場所を求めて探索していたアボット一家は、生存者エメット(キリアン・マーフィ)と出会う。

 いや……怖い! 1作目では直接描かれなかった「DAY 1」から今回は始まるんですが、スピルバーグの『宇宙戦争』を彷彿とさせるような不穏なパニック描写の連続。初っ端から劇中の世界に飲み込まれました。すべての始まりを丁寧に描いたうえで、前作のラストから物語が再開。「敵にも弱点があるってコト…?」と驚くような事実が前作ラストで判明しましたが、だからといって無敵というわけでもない。今回もアボット一家は次々とピンチに見舞われ、まだまだ大変。自分でお金払ってチケット買って映画館に来たはずなのに、映画を見に来たことを軽く後悔するほど、前作以上にビビり散らかしていました。

 今回、新たに登場するエメットというキャラクターは、いま生きている世界に希望を見出せておらず、渇いたムードを携えています。キリアン・マーフィにこの役を任せた作り手の判断は見事でした。今回、子供の成長・自立がひとつのテーマになっているので、エメットの登場により、子供サイドと大人サイドの思いの交差が1作目とは違う深みをもたらしています。また、途中から二手に分かれるグループの行動が最終的にどのようにリンクするのか、最後まで見ごたえがありました。1作目の単なる焼き直しにはなっておらず、続編映画として質が高くて満足しました。マジで怖かったけど。

 

6位 プロミシング・ヤング・ウーマン 2021年7月18日鑑賞。

 エメラルド・フェンネル監督作品。カフェ店員として働くキャシー(キャリー・マリガン)は元医大生。夜ごとバーに繰り出して泥酔したフリをして、強引に身体を触ってきた男性達に制裁を下していた。

 冒頭のバーのダンスの示唆的な場面から、ラストシーンの切れ味に至るまで面白かったですね。なぜ彼女が夜ごとバーに繰り出してわざわざそんな行動をしているのか、その理由が徐々に露になっていきます。終盤の意外な展開の畳みかけには、被害を訴える女性の「声」を封じられて帳消しにされることへの、怒りやカウンターを強く感じました。

 この映画では色彩設計が素晴らしく、自分は特にピンク色と水色の使い分けに注目して見ていました。青色じゃなくて、それよりも薄い「水色」が多用されているのには、男性の幼稚性を示しているように感じました。いくつかの場面では、キャシーが水色の服を着ているのですが、その着ているタイミングに注目すると面白いかもしれません。

 

5位 シン・エヴァンゲリオン劇場版 2021年3月8日鑑賞。

 庵野秀明監督による『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ完結作。前作『Q』のラストで満身創痍となったシンジは、アスカやレイと放浪を続けていたが、ある場所にたどり着く。

 シンエヴァの感想を語るにしても、まず自分自身とエヴァがいつ頃からの付き合いなのかという説明から入る人が多いと思っていて。そこに25年続くエヴァンゲリオンシリーズの厚みを感じますし、人によって熱や興味のベクトルは様々ですよね。自分はというと、2012年の『Q』公開前後にハマったクチで、25年続くエヴァンゲリオンシリーズの中でいうと、割と後期から興味を持ったことになります。

 そんな自分がシンエヴァに求めていたものは、とにかく見たことのないような映画を見たいというものでした。そういう意味ではこの映画は明らかに他作品とは比べようのない強度を保っていました。新劇場版どころか、TVシリーズ・旧劇場版をも包括するようなエヴァの総決算といえる内容で、これまでのエヴァとは異なる後味。こちら側の想像を軽く飛び越えてくるような映像表現やストーリーには、庵野秀明という作家の異質さやものづくりへの執念を感じ取ったのでした。

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4位 ファーザー 2021年5月23日鑑賞。

 フロリアン・ゼレールの戯曲『Le Père 父』を、ゼレールが監督として自ら映画化。ロンドンで独居生活を過ごす81歳のアンソニーアンソニー・ホプキンス)は認知症の進行により、記憶力が低下していた。そんな中、娘のアン(オリヴィア・コールマン)から、新しい恋人とパリで暮らすことを告げられる。

 この映画では、主人公である高齢者の視点がそのまま映像に反映されているので、自分が映像から感じる違和感が、そのまま主人公の混乱とリンクしているんですよね。記憶力低下・物取られ妄想・被害的な態度など、劇中で示される認知症の行動としては代表的なもので、その描写がどれも強烈でした。この映画を見ると、「自分の身内が」ということよりも先に「自分自身が」認知症になった未来のことを考えてしまったんですね。それほど自分事として考えてしまうような映画体験となりました。

 また、劇中で映る場面のほとんどが屋内、部屋の中。主人公は外出頻度や身体を動かす機会が少なくて、認知症が進行しやすかったのかも。暗い部屋の窓から、外の景色を見つめる彼の姿が忘れられません。

 

3位 あのこは貴族 2021年2月27日鑑賞。

 山内マリコの同名小説を岨手由貴子監督が映画化。都会に生まれ、箱入り娘として育てられた華子(門脇麦)。一方、富山から上京した美紀(水原希子)。生い立ちも現状も異なり、接点がなかったはずの2人の人生が交錯する。

 序盤のお正月の会食の場面では、門脇麦含めた8名の会話から、門脇麦の人物性や各々の関係性に興味を抱かせるあたりが見事でした。出演している役者さんが手練れ揃いなのと、監督の手さばきがよいので、もうこの会食の場面から面白いんですよね。細かすぎて伝わらないポイントをピックアップすると、親戚の子供が食事中にスマホをいじっていたかと思えば、いつのまにかしれっと会話に戻っているのも妙なリアリティがありました。

 お金持ちの描写や、地元の田舎町の描写だったり、細部の描写が丁寧でした。貴族と一般庶民の対比としては、食べ物やファッション、所作などに表れていました。日本の映画・ドラマでよく出てくる(現在は無き)居酒屋『酔の助』も、その一つの象徴として出てくるのには唸りました。このあたりの描き方が少しでも嘘くさかったり、誇張されていると映画の説得力が失われてしまうんですが、損なわれていないのがすごい。

 立場の異なる2人の20代後半の女性の連帯を描くシスターフッドのお話として面白く、また、あの2人だけの物語に留まっていないのがよいところ。終盤で出てくるある人からある人へ手を振るという場面の美しさに、この映画の風通しの良さを感じました。

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2位 花束みたいな恋をした 2021年1月29日鑑賞。

 脚本:坂元裕二、監督:土井裕泰。東京・明大前駅にて終電を逃した大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)は初対面ながら一緒に時間を潰すことに。二人はお互いの好きなもので意気投合し、あっという間に恋に落ちる。

 初日舞台挨拶で本作の脚本を書いた坂元裕二は「日常からカルチャーが失われていく瞬間を描いた」と語っていました。菅田将暉演じる麦は仕事に没頭するあまり、カルチャーを楽しむ気力、そして恋人とのコミュニケーションをとる余裕が無くなっていきます。仕事に集中すること自体は悪いことではないんですが、このあたりの描写って、就職後の自分自身も心当たりがあるからゾッとしました。

 ただ、人が何かに興味を持つ瞬間の高揚感、人が何かに関心を失っていくことの寂しさを描いていても、湿っぽくなり過ぎないあたりがこの映画の好きなところで。二人がいた時間を美化し過ぎず、かといって無意味だったと結論づけてもいないし。日本の恋愛映画でああいう後味って心当たりがなくて、品のある幕の閉じ方でした。

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1位 街の上で 2021年4月10日鑑賞。

 今泉力哉監督作品。下北沢の古着屋の店員・青(若葉竜也)は、恋人の雪(穂志もえか)から別れを告げられ、未練を断ち切れずにいる。そんな青に学生映画の出演依頼が舞い込む。

 映画やお芝居で「ナチュラルに見えること」って、意外と難しいことだと常々思っていて。人間って、他者の視線を意識すると多かれ少なかれぎこちなくなっちゃうし、当然、人に見られていないときはリラックスして素の状態でいられるじゃないですか。だからこそ、日頃から演技の訓練や勉強をしている役者さんが、スクリーンで自然な演技をされているのを見ると、自分はそこに感動しちゃうんですよね。今年見た映画の中で、この『街の上で』のナチュラル度はもう素晴らしくて。

 それは、くだけた言葉と敬語が入り混じったような会話であったり、一度言いかけた言葉を違う言葉で言いなおす仕草であったり。人間の普段の会話って、よどみなくスラスラ喋れることばっかりではないじゃないですか。この映画では、生きた言葉が感じられるような温もりがあって面白かった。会話のリズムや間が心地よく、なんだか奇跡的なものをみているような気になりました。

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さいごに

 今年、ベストを選んだ後で、この10本ってざっくり2つのタイプに分けられるのでは、と気がつきました。

 10位から4位までは「取り返しのつかない事象に対して、どう振る舞うか、何を思うか」ということを描いた映画。3位から1位までは「20代の若者の日々の尊さと苦さとこれから」についての映画だと自分の中では整理しています。本当にざっくりですが。

 自分自身も20代後半ということもあり、年齢が近い人の等身大の姿を描いた映画ほど、自分の中に染み渡るようにスッと入ってくるのかなと自己分析しました。特に『あのこは貴族』『花束みたいな恋をした』『街の上で』は自分の中でワンセットみたいなところがあります。

 というわけで、以上!2021年映画ベスト10でした。また来年。

 

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『竜とそばかすの姫』について

 細田守監督の最新作『竜とそばかすの姫』を見た。

 主人公は、高知県の田舎町で父と暮らす17歳の女子高生・すず(中村佳穂)。彼女は全世界で50億人以上が集うインターネット空間の仮想世界「U」で、「ベル」というアバターとして参加する。幼いころに母を亡くしてショックを受けていたが、すずは歌うことができなくなっていたものの、Uの世界では自然に歌うことができた。Uで自作の歌を披露し、全世界の注目の的となる歌姫となったベルの前に、謎の存在・竜(佐藤健)が現れる。

 『竜とそばかすの姫』における「現実とは別に広がるバーチャルな仮想世界」「主人公が高校生」という要素からは、細田守監督の過去作『サマーウォーズ』(2009年)を思い出さずにはいられない。『サマーウォーズ』では、仮想世界・OZ(オズ)が舞台のひとつになっている。『竜とそばかすの姫』で提示される仮想世界の設定は、『サマーウォーズ』を彷彿とさせる。『サマーウォーズ』のOZは円形のデザインだったが、『竜とそばかすの姫』のUは、パキッとした直線的なデザインが印象的だ。冒頭の約3分間で、広大なUの世界をドーンと映しつつ、世界観や設定を説明し、そしてなにより歌姫ベルの存在力を示す。この冒頭の場面だけでも映像美や中村佳穂によるパワフルな歌唱はとても迫力があり、「IMAXで見てよかった」と思わせられるものであった。

 ただ、今回の見かけは『サマーウォーズ』に似ていても本質的には全く違う物語が展開される。単純に「面白かった」で済ませられない何かがあった。

 

<以下、『竜とそばかすの姫』の内容に言及しています>

 

誹謗中傷について

 すずの母は、氾濫する川の中洲に取り残された見ず知らずの子供を救うため、濁流が押し寄せる川に入り、子供の命と引き換えに死んでしまったことが劇中で早々に語られる。すずの母の決死の行為を報じるネットニュースのコメント欄では、「偽善」「残された子供に対して無責任」などと冷ややかな声が飛び交っていた。母の死の悲しみに加え、見ず知らずの者達から投げかけられた冷笑的な意見も、すずの心を更に傷つけていたのではないだろうか。

 ネット上に溢れかえるコメントや総ツッコミ、もっと突き詰めていうと「誹謗中傷」「炎上」が今作の一つのテーマと言っていいだろう。インターネット上での団結をポジティブに描いた『サマーウォーズ』が公開されてから12年経ち、あの頃とはインターネットの存在がずいぶん変化した。早とちりしたジャッジや間違った正義など、インターネットのネガティブな側面についても今回、細田守監督は描いている。

  突如現れた謎の存在・竜に注目し、すずと親友のヒロちゃん(幾田りら)は竜の正体を暴こうとネット上を探索する。犯人探しの場面は、若干ユーモアを交えて描写されているが、すず達がやっていることは実は恐ろしいことで、ネット上の断片的な情報を繋ぎ合わせて、不確かな「推測」でしかないものを「断定」しようとしている。

 しかし、劇中で行われていることは、我々が生きている現実でも無関係ではない。例えば、社会的注目の高い事件が起こると、ネット上で犯人探しが始まり、全くの無関係の人物が実名が晒されたり、無関係の企業・団体に非難が殺到する事態は実際に発生している。

 Uでは様々な憶測や噂が流れるが、すずが通う高校という限定的なコミュニティでも例外ではない。すずの幼馴染・しのぶくん(成田凌)がすずと手を繋いだだけで、「二人が付き合っている」と同級生の間で噂が広がり、女子たちから誤解と嫉妬を招くことになる。性質や種類は違っても、誰でも秘密を知りたがっていて、不確かな噂は一気に広まるのは、どこでも同じだ。

終盤の展開について

 細田守作品は、終盤でびっくりするほどグンと飛躍する傾向がある。特に前2作『バケモノの子』『未来のミライ』はその飛躍に戸惑い、作品の決着について腑に落ちなかった。では、今回の『竜とそばかすの姫』はどうか。

 竜の正体である少年・恵(佐藤健)は弟・知とともに、父親からの虐待に怯えていた。すべてを知ったすず達は、まず恵が住んでいる部屋の場所を特定するため、モニター越しに聞こえた防災行政無線のチャイムのメロディや、部屋から小さく見えるビルの景色などをヒントにして、恵が住んでいる部屋の場所を特定する。本作では、ネットの不確かな情報に振り回されることの危うさを描いていたが、どこの誰かもわからない人間を救うには役立つこともある。誰かを傷つける一方で、誰かを救える可能性がインターネットにあることを示している。

  児童相談所に通報しても対応が遅いらしいことから、すずは恵と知を助けるために、高知から東京へひとりで向かう選択をする。父の虐待に怯える子供たちを救うためとはいえ、すずは未成年の女子高生であり、そんな彼女が一人きりで東京へ向かうのは、客観的に考えると、その判断は「危うい」。非常にリスクが高いし、すずをひとりで送り出す大人たちに自分は一瞬モヤッとした。

 しかし、恵の「助ける?助ける?」という反応から、おそらく児童相談所があの親子に介入していても、根本的な解決に至っていないであろうことが推察される。弟以外の人間に対して信頼を失っている孤独な恵を救うため、画面越しやUの中ではなく、直接会って「助ける」ことを選んだすずの感情は「わかる」。モヤッとしたのも束の間、かつて見ず知らずの子を助けた母親と同じように、困っている子供を助けずにはいられないすずの覚悟を自分は切り捨てることはできなかった。

 いろいろ言いたいことはないわけではない。すずが東京に向かう場面でも、例えば周囲の大人たちの制止や説得をすずが振り切るとか、そういう描写が数十秒あるだけで、その展開について多少のみ込みやすくなったのではないだろうか。また、恵・知の父親(石黒賢)が、すずに睨まれて怖気づいて逃げる姿は、まるで『痛快TV スカッとジャパン』を見ているみたいで、「そんな反応をするものなのかな…」とモヤッとした。

 結局、すずが東京から高知に帰ってきても、虐待案件はどういう処遇になったのか、その後もすずと恵の交友は続いているのか、そうした描写は何もないままこの映画は幕を閉じる。あえて描かなかったのは、児童虐待は現実でも地続きの社会問題であるから、観客に考えてもらう余地を残すために、安直にスッキリさせない後味を選んだのかなと思ったり。どうなんでしょうか、細田監督。

 すずが助けに行ったことで、あの兄弟は保護されているはずだ(と思いたい)が、仮に劇中でその一件が報道されていたとしたら、ネットニュースのコメント欄はすずの行動に対して、どんな言葉で溢れているのだろうか。

 

『街の上で』について

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【※以下、『街の上で』の内容についてネタバレしています】

 

「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」

 これは映画『街の上で』の本編冒頭に登場する言葉だ。映画のキャッチコピーにも採用されている。主人公の荒川青(若葉竜也)は古着屋で働いている。彼はひょんなことから美大生の卒業制作である映画に出演することに。しかし、青は演技経験がない素人。この言葉は青が「自然に読書をする」だけの演技が全くできなかったためにカットされてしまったシーンのことを示している。

 青は張り切って練習に励み、古本屋の店主・田辺冬子(古川琴音)に練習に付き合ってもらうが、その時点で既にガッチガチだったのだ。だから、余計に目も当てられない。本番での青の姿に言葉を失う撮影クルー達。その状況は滑稽であり、笑ってしまったが、他者の視線を意識した途端、自然でいることができなくなってしまう不器用な彼のことを愛おしく感じてしまった。この映画には、そのほかにも「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」ものがたくさん溢れている。

  他の男と浮気した元彼女・川瀬雪(穂志もえか)を引きずっている青。職質がてら、クセの強い恋バナとも相談ともつかない話を投げかける警官。古着屋で奇抜な猫シャツを購入し、意中の相手への告白に向かうであろう男。この世にはもういない恋人の留守番電話メッセージを聞いて、涙する田辺冬子。「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」ものとは、誰にも侵されることのない、本人にしかわからない「気持ち」といえるだろう。

   ライブハウスで青にメンソールのタバコを1本手渡した女性。カフェで知り合った女性客とバイト終わりの店員が一緒に下北沢を巡る午後。青が古着屋で読書する姿を見て、映画出演をオファーする高橋町子(萩原みのり)。青にシンパシーを抱いたのか単なる気まぐれなのか、青を自宅へ招く城定イハ(中田青渚)。「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」ものとは、他の誰かは気にも留めない、束の間の「出会い」にも当てはまる。

  この『街の上で』では、変わりゆく下北沢の街で、人の気持ちの変化、人と人のささやかな出会いや交流が描かれる。それはときに微笑ましかったり、「何じゃそりゃ」と笑ってしまうようなミニマムなものもある。この『街の上で』に流れている時間がずっと続けばいいのに、と思ってしまうほどで。日々の何てことのない光景、変に肩の力が入り過ぎていない感覚、それらが心地よかった。

  特に、深夜に青とイハが二人だけで語らうシーンが素敵だ。昼間は映画撮影の出番を前にしてソワソワしていた青が、演者の控室として用いられていたイハの自室にまた戻って、おしゃべりしている。同じ場所なのに状況がまるで違う、不思議な対比だ。ここで交わされる深夜の二人のナチュラルな会話や出てくるエピソードは面白くて、二人のおしゃべりをずっと見ていたいほどだ。今泉力哉監督によると、若葉竜也と中田青渚が発する台詞は台本に忠実で、アドリブはほとんどなく、一発撮りだったというから驚きだ。

  本作のラストシーンは、青と雪が冷蔵庫にしばらく眠っていたチョコレートケーキをつまんで食べて笑い合う。そして、そのままあっけなくエンドロールに突入する。ラストシーンにしてはあまりに何気なさ過ぎて、暗転した瞬間に映画が終わったことにビックリしたが、その飾らない終わり方だって好ましく思えた。

 公開中にもう一度、彼らに会いに行くことができないか、タイミングをうかがっている。

 

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